筆譯
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先輩記者が女子大生たちから招待狀を受け取った?!缚荬炷兢馍饯钨cわいと存じます。是非ご出席を……?!箍荬炷兢趣筏皮仙饯颏摔铯护毪伽嗓Δ嗣预??!盖椁堡先摔韦郡幛胜椁骸工趣い盲郡?、「なるほど情けをかけてはかえって人を傷つけるのか」とうなずく若者がいたそうだ。また、ある出版社が集めた誤字?當て字優(yōu)秀作?に、「ご立派な低宅をお建てになり」という新築祝いの手紙があった。無論、邸宅の間違いだが、低宅には妙な実感がある?!袱浃悉昝椓Δ胜盲郡瑜Δ扦埂工趣稀⑹茯Yに失敗した若者の便りだ。これでは受験に失敗するのも無理はない。
こういう実例を並べては國語力の低下を嘆き、國語の亂れをなじるのが世の常だが、そうなじるご當人が、例えば順風満帆や不祝儀を間違えて読んだりするのだから、日本語というのはややこしい。青筋を立てて國語の亂れに警鐘を打ち鳴らす人がいるのはいいことだ。でもそういう「けしからん派」だけでは息がつまる。
山本周五郎の代表作『おたふく物語』の主人公おしずは、山本作品の中の最も魅力的な女性の一人だが、このおしずさんのしゃべる言葉は、すっとんきょうで、そそっかしくて、いつも間違いばかりしている?!附饡rの火事見舞い」を「金時のカゼ見舞い」などと平気で言い、周囲を笑わせる。目黒の茶店へ行けば本気で名物のサンマを注文し、店の老夫婦を喜ばせる。その言葉はとんまなようで情があり、間違ったいい回しがかえってあたたかい笑いを呼ぶ。ただ一つ、どんなでたらめを言っても、おしずは絶対に人を傷つける言葉を使わない。「枯れ木も」と言えば相手がどう思うか、を常に考える心配りがある。周五郎はおしずという人物像を描きながら、本當の生きた言葉とは何かを考えていたのだろう。私たちはどうやら枝葉末節(jié)の間違いにこだわりすぎているように思う。
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植物人,顧名思義,是像植物一樣活著的生命。植物人是離死亡最近的人,也是被家人深愛的人。外傷、腦卒中及缺氧性腦病,是導致患者成為植物人的三個典型原因。其中,外傷中車禍占比最大,而且患者漸趨年輕化,醒來的希望渺茫。死神沒有奪走的生命,更需要被善待。然而長期以來,植物人都游離在世人的視野及社會的關照之外。
醫(yī)學上認為,腦死亡才是真正的死亡,所以植物人不等于死亡。衡量一個社會的進步,很重要的一點就是對弱勢群體的關注程度。然而現(xiàn)實情況是:醫(yī)療資源有限,醫(yī)院不可能長期將植物人留院治療;家屬缺乏護理知識,居家護理更是困難重重。植物人托養(yǎng)行業(yè)在醫(yī)療、養(yǎng)老、扶貧、殘疾和康復的交叉縫隙中艱難生存。專家建議,應該完善相關法律,在人口超過100萬的城市里建立專門的托養(yǎng)中心,同時要利用媒體的力量,呼吁更多人關注植物人群體。
口譯
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皆さん、「大衆(zhòng)個人主義」という言葉をお聞きになったことがありますか。あるはずがないですよね。これは、私が最近の日本社會にはどうもよくない傾向が目立ってきていると感じて、この傾向に対して勝手に名づけた言葉です。大衆(zhòng)というのは、私たちみんなを指しますが、個人主義というのは、個人個人の立場を最も尊重して、お互いに他人の人格と自由をできるだけ認め合っていこうという、一つの明確な生きる構えを指します。その意味では、本來、個人主義には義務や責任の観念が伴います。ですから、もしみんながそういう義務や責任の観念をきちんと身に帯びてお互いの関係を作っていくなら、何も問題はないのです。
ところが、個人主義という言葉は、しばしば自分勝手なエゴイズムを指すこともあります。みんなが権利だけを主張して、互いに譲らないようになると、集団の秩序、社會の秩序、政治的決定などが成り立たなくなります?,F(xiàn)代日本の社會風潮には、こういう傾向があちこちで見られるようになっていると思えてなりません。その意味で、「大衆(zhòng)個人主義」は、本來の個人主義の墮落したあり方だと言えるでしょう。
例えば、文科省の調査によりますと、現(xiàn)在、約7萬人の児童生徒の親が、経済的に困ってもいないのに給食費を払っていません。また、學校に「うちの子をリレーの選手にしろ」などという無理な要求を突きつけてくる親が増えています。これが昔から「モンスター?ペアレント」と呼ばれていることは、皆さんも御存知でしょう。
また、私が直接見聞した例では、ある鉄道で人身事故がありダイヤが混亂したために、駅員さんが調整に多少手間取ったことを捉えて、その鉄道の責任であるとしていつまでもしつこく若い駅員さんをどやし続ける男性がいました。人身事故とはおそらく身投げでしょうから、鉄道の責任とは言えないのに、この人は文句を言い続けることに快楽を感じているようです。何か生活上の不満でもあって、江戸の敵を長崎で討っているのでしょうか。
一方、二、三歳の幼児を叱るのに、まるで大人同士で喧嘩をしているような口ぶりで理屈をまくし立てている若い母親をよく見かけます。まだ言葉を覚えたての幼児に、そんな早口の理屈が理解できるはずがありません。その子は、なぜ叱られているのかわかりませんから、ぽかんとしていたり、母親を無視していたりします。これなどは、子どもを育てていれば自然に身につくはずの、その子の発達年齢にあった振舞い方がわからなくなっているのでしょう。人と人とはみんな対等な個人だというような考え方を、頭でっかちに信じてしまっているのでしょうか。ちょっと信じられない光景です。
また友達づきあいが苦手で人との関係を過剰に気にする若者たちも増えています。精神科醫(yī)の和田さんによると、トイレにこもって一人ランチをする若者がいるという説がまかり通っているそうです。一人で食事をしているところを見つかると、「あいつには友達がいないのだ」と思われてしまうので、そのことを恐れてひそかにトイレにこもるというのです?!袱饯ΔいΔ长趣ⅳ盲皮猡筏胜い瑜省工雀肖袱椁欷毪郅扇摔趣伍v係がうまく取れない孤獨な青年が多いために、若者たちの間で伝説化したのでしょう。
かつて日本は、集団主義の國と言われ、長い間、內外でその是非がいろいろな形で論じられてきました。しかし1980年代あたりから都市社會化、情報社會化が進むのに伴って、人間関係は、むしろヨーロッパなどよりもはるかに「個人化」の度合いを深めているように思われます。心を割って話せる友人のいない人、戀人のいない人、ひきこもりなどは、このころから急に増えてきました。
個人化が進むこと自體には、元に戻すことができない文明史的な必然性があります。またわずらわしい人間関係の拘束から自由になれるというよい面も持っています。そういうよい面があるからこそ、私たちみんながこの方向性を選んだのでしょう。親族間のしがらみなどは昔に比べてはるかに減っているし、できれば子どもの世話になりたくないという自立心をもった高齢者が増えてもいます。
けれども、この傾向を丸ごと肯定してしまうと、「人はみんなばらばらが一番よいのだ」という誤った理想を立ててしまいかねません。なぜこの理想が誤っているかというと、人間の本質は、「結び」というところにあります。相互に言葉や身體をかかわらせてこそ、人間の人間たるゆえんがあります。倫理的な慣習なども、この相互の関係の中から立ち上がり、維持?継承されていくのです。
ばらばらに分斷化された狀態(tài)をあるべき姿として考えてしまうと、社會秩序が穏やかな形で保てなくなり、代わって個人と個人とが爭う修羅場が出現(xiàn)します。私たちは、権利の主張ばかりに明け暮れる、公共心の欠落した「大衆(zhòng)個人主義」の弊害についてよくよく反省してみる必要があるのではないでしょうか。
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大家好,很高興今天能有機會和大家一起探討氣候變化這個宏大的議題。我們先來看一下大屏幕:氣候變化、巴黎協(xié)定、碳中和目標、兩度目標......這些詞你是不是最近經(jīng)常聽到?它們是什么意思?全球氣溫上升兩度,聽上去沒什么大不了的,卻為什么會導致那么多災難?今天我想和大家分享的內容,就是氣候變化給我們的生活帶來的具體影響,以及作為個體,你我能做些什么?
我想首先請大家看一組小的數(shù)字。以我們現(xiàn)在所在的廣州為例,從1908年到2019年,這一百多年間,廣州的平均氣溫上升了1.4攝氏度。這個小小的1.4攝氏度意味著什么呢?首先是高溫熱浪。在1990年以前,廣州市每年平均的高溫日數(shù)差不多是6.5天,而現(xiàn)在這個數(shù)字是34.7天。這意味著每一位廣州市民每年要經(jīng)歷的高溫熱浪的天數(shù),比以前多了接近一個月的時間。
這可不是你躲在空調間里面就可以輕易解決的問題。由于城市熱島效應的影響,城市高溫熱浪已經(jīng)成為影響居民健康的一個隱形殺手。對于戶外工作者、老人、嬰幼兒以及患有慢性疾病、心腦血管疾病的居民來說,高溫熱浪意味著他們的死亡幾率會大大的增加。
《牛津詞典》公布了2019年的年度詞匯“climate emergency”,中文翻譯過來是“氣候緊急狀態(tài)”,三年來,這個狀態(tài)并沒有由于新冠疫情而停止腳步。澳洲的山火從2019年燒到2020年,甚至在高溫熱浪的影響之下,加州亞馬遜以及靠近北極的西伯利亞都發(fā)生了嚴重的山火,北極圈記錄到了38℃這個創(chuàng)紀錄的高溫。而且由于高溫導致北極的凍土融化,發(fā)生了嚴重的漏油事故。
上面這一切事件的背后,都有著氣候變化的影子。氣候不僅僅在變化,它已經(jīng)告急。相信在座大家在此時此刻一定有一個問題。我能夠做什么,我應該做些什么,來應對加速變化的氣候風險?關于公眾個人的氣候行動,有很多的低碳生活指南和宣傳標語,比如乘坐公共交通、綠色出行、節(jié)水節(jié)電,減少食物浪費、減少一次性塑料消費等等。
氣候行動的真正的力量不在于去計算我每一次微小的改變帶來的這個數(shù)字,更重要的是這個行動帶來的希望和力量。全球的科學家、經(jīng)濟學家都用他們的技術論證和模型推演向我們證明,在充足的資金、穩(wěn)健積極的政策和跨越式的技術發(fā)展之下,我們有能力把全球升溫控制在1.5攝氏度,這也就意味著我們可以避免氣候變化帶來的不可逆轉的災害性后果。然而,這一切實現(xiàn)的前提,在于我們有意愿和信心去推動這些改變的發(fā)生。這個意愿和信心不僅來自政府,不僅來自企業(yè),更來自我們每一個個體的行動。